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詩歌
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詩歌

わずかな数十字に込められた思い、言葉に込められた重み。受け取るがままに感じることができる文学。

  • 2021年6月5日
  • 2021年6月5日

高村光太郎「レモン哀歌」色鮮やかな死別のとき、レモンの果汁が降ってくる

レモンが苦手なぴよすけです。   今回は高村光太郎の名作「レモン哀歌」について紹介します。   「レモン哀歌」は、高村光太郎が妻の智恵子の死に際を題材に詠んだ詩です。 死別という悲しさがありながら、レモンの持つみずみずしさや明るさを含んだ名作です。

  • 2021年6月5日

石垣りん「表札」:精神の在り場所には自分で表札をかけよう

近々家を建てたいと思っているぴよすけです。   家を建てたらお庭や玄関をお洒落な雰囲気にしたいものです。 最近では表札もお洒落になり、デザイン性のあるものを掲げているお宅も増えました。   今も昔も変わらず、そこに誰が住んでいるのかを示す「表札」。 今回はまさに「表札」を詩題にしている石垣りんさんの詩を紹介します。

  • 2021年6月3日
  • 2021年6月3日

茨木のり子「六月」:なぜ「六月」?「美しい」に込められた意味

ぴよすけです。 2021年は例年より早く梅雨の時期になりました。 しかし今年の梅雨はあまり雨が降っていませんね。   暦も6月になり、ふと6月らしからぬ「六月」を思い出したので、記事にまとめました。   今回紹介しているのは、茨木のり子さんの詩「六月」です。 きれいな情景と伝えたい内容が印象に残る詩となっています。

  • 2020年5月10日
  • 2020年5月10日

『倚りかからず』間違いや遠回りがある生き方を考える

茨木のり子さんが70歳を超えて作られた詩「倚りかからず」。   詩が発表されてから20年以上の時が経った今も、この詩から考えさせられることが多いです。   倚りかからず もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば […]

  • 2020年5月5日
  • 2020年5月8日

「わたしが一番きれいだったとき」敗戦部分の一節をマンガで発見

茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」。   何人もの方が学校の授業で扱った詩でしょう。   わたしが一番きれいだったとき わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達がたくさん死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなく […]

  • 2020年4月28日
  • 2020年5月14日

「自分の感受性くらい」責任転嫁したくなるときに読みたい詩

高校時代に学んだ詩は、大人になってまた出会います。 「そういえば高校生の時にやったような…」 この感覚がとても大事。   現役で働く世代にとって、多くの人が学んだであろう、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩。   茨木のり子って、そういえば学生時代に触れたことがあるような… 「自分の感受性くらい」っていうタイトルはなんとなく覚えてるような…   今の20代以下では、この詩に触れてもいないのかもしれません。 もしかしたら、今の中学生や高校生は学校で取り扱っ […]

  • 2020年4月23日
  • 2020年5月5日

「最果タヒ」とは?顔出ししない謎の詩人が人々を惹きつけてやまない3つの魅力

ぴよすけが最果タヒを知ったのは2019年末あたりでしょうか。 最果タヒさんはこれまでもメディアを通して「詩とは何ぞや」ということを伝えていましたが、私の耳には届いていませんでした。   しかし最果タヒさんを知っていくうちに、たちまち彼女の魅力に引き込まれました。 この記事では最果タヒさんの魅力を紹介しています。