- 2021年6月5日
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高村光太郎「レモン哀歌」色鮮やかな死別のとき、レモンの果汁が降ってくる
レモンが苦手なぴよすけです。 今回は高村光太郎の名作「レモン哀歌」について紹介します。 「レモン哀歌」は、高村光太郎が妻の智恵子の死に際を題材に詠んだ詩です。 死別という悲しさがありながら、レモンの持つみずみずしさや明るさを含んだ名作です。
わずかな数十字に込められた思い、言葉に込められた重み。受け取るがままに感じることができる文学。
レモンが苦手なぴよすけです。 今回は高村光太郎の名作「レモン哀歌」について紹介します。 「レモン哀歌」は、高村光太郎が妻の智恵子の死に際を題材に詠んだ詩です。 死別という悲しさがありながら、レモンの持つみずみずしさや明るさを含んだ名作です。
近々家を建てたいと思っているぴよすけです。 家を建てたらお庭や玄関をお洒落な雰囲気にしたいものです。 最近では表札もお洒落になり、デザイン性のあるものを掲げているお宅も増えました。 今も昔も変わらず、そこに誰が住んでいるのかを示す「表札」。 今回はまさに「表札」を詩題にしている石垣りんさんの詩を紹介します。
ぴよすけです。 今回は詩の定番教材ともいえる、宮澤賢治の「永訣の朝」です。 この詩は途中でローマ字部分があり、どのような解釈なのかがしばしば読み手の間で話題となります。
ぴよすけです。 2021年は例年より早く梅雨の時期になりました。 しかし今年の梅雨はあまり雨が降っていませんね。 暦も6月になり、ふと6月らしからぬ「六月」を思い出したので、記事にまとめました。 今回紹介しているのは、茨木のり子さんの詩「六月」です。 きれいな情景と伝えたい内容が印象に残る詩となっています。
茨木のり子さんが70歳を超えて作られた詩「倚りかからず」。 詩が発表されてから20年以上の時が経った今も、この詩から考えさせられることが多いです。 倚りかからず もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば […]
茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」。 何人もの方が学校の授業で扱った詩でしょう。 わたしが一番きれいだったとき わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達がたくさん死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなく […]
高校時代に学んだ詩は、大人になってまた出会います。 「そういえば高校生の時にやったような…」 この感覚がとても大事。 現役で働く世代にとって、多くの人が学んだであろう、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩。 茨木のり子って、そういえば学生時代に触れたことがあるような… 「自分の感受性くらい」っていうタイトルはなんとなく覚えてるような… 今の20代以下では、この詩に触れてもいないのかもしれません。 もしかしたら、今の中学生や高校生は学校で取り扱っ […]
ぴよすけが最果タヒを知ったのは2019年末あたりでしょうか。 最果タヒさんはこれまでもメディアを通して「詩とは何ぞや」ということを伝えていましたが、私の耳には届いていませんでした。 しかし最果タヒさんを知っていくうちに、たちまち彼女の魅力に引き込まれました。 この記事では最果タヒさんの魅力を紹介しています。