明治から昭和を生きた太宰治の作品『葉桜と魔笛』。
太宰治作品の中でもわりと短めの作品です。
さくっと読めますが、終盤に登場する「口笛を吹く」シーンは読み終えた後も考察ができる、味わい深い作品となっています。
この記事では『葉桜と魔笛』のあらすじと、口笛を吹いた人物について解説しています。
作品データ
作品データ
作者:太宰治
発表:昭和14年(1939年) 雑誌「若草」
「若草」は若い女性向けの雑誌で、太宰は『葉桜と魔笛』以外にも『喝采』や『燈籠』という作品を発表しています。
この作品は作者の妻である津島美知子が次のように述べています。
「『葉桜と魔笛』は、私の母から聞いた話がヒントになっている。私の一家は日露戦争のころ山陰に住んでいた。松江で母は日本海海戦の大砲の轟きを聞いたのである」
『回想の太宰治』(人文書院 昭和53)
本作では松江ではなく、島根県の日本海に沿った人口二万余りのある城下町という違いがみられます。
小説を書くにあたり、当時の文豪であっても何らかの素地というものがあったことがうかがえますね。
あらすじ
この作品はある老夫人の回想形式で構成されています。
葉桜の季節になると老夫人は35年前のことを思い出すと語りだします。
35年前の私(=老夫人)はまだ20歳で、妹と父親と3人で暮らしていました。
妹は当時18歳で、腎臓結核で余命百日と宣告されています。
父親は頑固一徹の学者気質で、中学校の校長先生をしていました。
この当時は日露戦争の真っただ中でした。
世の中は戦争で大砲の音が轟いていて、主人公である「私」の身近では大切な妹が弱っていく…
主人公が苦悩し、精神的に追い詰められている姿が描かれています。
そんななか、主人公は妹のたんすを整理していると、30通ほどの手紙の束を見つけてしまいます。
手紙の送り主は「M・T」という男性でした。
この「M・T」という男性は城下町に住む貧しい歌人だったようです。
私はその手紙をこっそり読んでしまいます。
手紙の内容は「恋文」のレベルを超えていて、肉体関係まで結んだことがわかる内容でした。
さらに、妹の病気がわかるとなると、この「M・T」は互いに忘れようと切り出し、それ以来手紙をよこさなくなりました。
妹があまりにも不憫でかわいそうと思った主人公は、「M・T」になりすまして(筆跡をまね、和歌を作って)妹に手紙を出します。
「M・T」になりすまして書いたその手紙は妹に対するお詫びから始まり、妹を愛していたということ、さらに毎日家の外で軍艦マーチの口笛を吹くことを約束する――との内容でした。
ところが、妹は姉が「M・T」になりすまして手紙を書いたことを見抜きます。
そして妹から返ってきたのは「たんすにあった30通の手紙は、寂しさを紛らわすための自作自演だった」という事実でした。
主人公は恥ずかしい思いをし、妹は死ぬことがいやだという思いを吐露します。
すると、なんということでしょう。
二人がお互いを慰め合っている中、六時になると軍艦マーチの口笛が聞こえてくるではありませんか!
主人公が書いた手紙の内容が、実際に起こったのです。
二人は恐怖を感じながらも、庭の葉桜の奥から聞こえてくる口笛に二人して耳を澄ませました。
その三日後に妹が亡くなってしまいました。
主人公は「神様」はいる、と強く思いました。
現在(=妹の死後35年後)、あの口笛は父親の仕業ではなかったか、と主人公は思っています。
しかし、父親はすでに他界し、確かめようもありません。
感想
短編小説ということもあり、読了まで15分~20分程度でした。
現在と過去の語りを分ける部分は明確でしたが、過去の部分の時系列が若干複雑です。
(まあ、短い小説なので何回か読み直せばいいんですが…)
読点(、)の多様や語順の前後の逆転から、老夫人が昔の記憶を思い出しとりとめなく話している様子が演出されているように感じられました。
また、明治の出来事を語るということで、当時の文化が色濃く見受けられます。
・父親が頑固一徹の学者気質
→主人公は婚期や青春を犠牲にしてまで一家の切り回してきた
・恋愛結婚がメジャーではない
→昭和15年の調査では、見合い婚が69%を占めていた。また恋愛結婚の多くは男性主導で、見初められた女性が応じ「清く正しい」交際をして結ばれるものだった。
青春を投げうってまで一家を切り回した姉と、病気のために青春を謳歌することができなかった妹、という構図になっています。
考察の前に ~口笛について~
以下が口笛を吹いた場面の引用となります。
私は、かなしいやら、こわいやら、うれしいやら、はずかしいやら、胸が一ぱいになり、わからなくなってしまいまして、妹の痩せた頬に、私の頬をぴったり押しつけ、ただもう涙が出て来て、そっと妹を抱いてあげました。そのとき、ああ、聞えるのです。低くかすかに、でも、たしかに、軍艦マアチの口笛でございます。妹も、耳をすましました。ああ、時計を見ると六時なのです。私たち、言い知れぬ恐怖に、強く強く抱き合ったまま、身じろぎもせず、そのお庭の葉桜の奥から聞えて来る不思議なマアチに耳をすまして居りました。
本文にもあるように、口笛を吹いた者の正体は最後まで読んでも明らかになりません。
この作品の最大の謎である口笛についての考察の前に、語句の整理をしてみましょう。
魔笛という言葉の意味
そもそもタイトルにある「魔笛」は、おそらく作中の口笛を指すということで間違いないでしょう。
「魔笛」を調べるとモーツァルトのオペラが出てきますが、それとの関連はなさそうです。
単純に「魔法の笛」や「魔力のある笛」、この作品の中では「魔法の口笛」「不思議な口笛」などという意味で解釈できそうです。
口笛で吹いた「軍艦マーチ」とは
軍艦マーチは瀬戸口藤吉が1900年(明治33年)に作曲し誕生した「軍艦行進曲」のことで、一般には「軍艦マーチ」として広く知られています。
作中の日本海大海戦の「あの日」は1905年であり、日露戦争の戦時下が物語の舞台となっています。
さらにこの小説が発表された1939年(昭和14年)は日中戦争のさなかであるため、口笛を「軍艦マーチ」にしたことは、ある意味時局に適っていたといえます。
軍艦マーチは手紙の中に登場しますが、以下のような表現もあります。
僕は、あなたに対して完璧の人間になろうと、我慾を張っていただけのことだったのです。僕たち、さびしく無力なのだから、他になんにもできないのだから、せめて言葉だけでも、誠実こめてお贈りするのが、まことの、謙譲の美しい生きかたである、と僕はいまでは信じています。つねに、自身にできる限りの範囲で、それを為し遂げるように努力すべきだと思います。どんなに小さいことでもよい。タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが、最も勇気ある、男らしい態度であると信じます。
軍艦マーチは「勇気ある、男らしい態度」という表現もあるように、戦時下という時代で出兵する男性というイメージと重なることから、出兵する強い男性を想起させる意味合いがあるといえそうです。
考察 ~口笛を吹いたのは誰なのか~
口笛に関する「魔笛」「軍艦マーチ」をもとに誰が口笛を吹いたのか、考えられる3つパターンを考察してみました。
・口笛を吹いたのは「父親」
・口笛を吹いたのは「M・T」
・実は口笛は吹かれていなかった
突飛なものもありますが…笑
以下にそれぞれ考察してみました。
考察① 口笛を吹いたのは「父親」
こう考えるのが一般的でしょう。
初見の方や単純に字面だけ追う場合、父が最有力候補になります。
本文の中には次のような表現もあります。
いまは、――年とって、もろもろの物慾が出て来て、お恥かしゅうございます。信仰とやらも少し薄らいでまいったのでございましょうか、あの口笛も、ひょっとしたら、父の仕業ではなかったろうかと、なんだかそんな疑いを持つこともございます。学校のおつとめからお帰りになって、隣りのお部屋で、私たちの話を立聞きして、ふびんに思い、厳酷の父としては一世一代の狂言したのではなかろうか、と思うことも、ございますが、まさか、そんなこともないでしょうね。
当時の主人公から見た父親は「頑固一徹の学者気質」「厳酷」というイメージだったのでしょう。
しかし時が経ち、昔を懐古する語りの形式は、実は青春期の自分たちを助けてくれたのではなかったか、ということに思い当たるほどに語り手が成長した、ということを描いているように読めます。
さらにこの小説の結びの一文は次のようになっています。
私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、どうも、年とって来ると、物慾が起り、信仰も薄らいでまいって、いけないと存じます。
「信仰が薄らぐ」という表現からも、現実的な考え方ができるようになったと考えられます。
また、父は教育者として規律を重んじる真面目な人物像として語られてきています。
「娘たちのために一肌脱ぎ、架空の人物になりすまして口笛を吹く」というある意味、「教育」を施しているという見方もできます。
考察② 口笛を吹いたのは「M・T」
実は「M・T」という男性は実在していたという考え方です。
かなり大胆な仮説であり、そこまで根拠が揃っていませんが…
この見方では、M・Tは実在しているからこそ、妹との手紙のやりとりは実際に行われていたと考えるべきです。
いくら手紙が妹の自作自演であっても、M・Tが妹の友人の名を用いて文通をしていたことや、内容として肉体関係まで結ぶなど(当時の感覚なら普通かもしれないが)「醜いもの」という強めの表現が用いられるなど、考える余地はあります。
さらに物語の構造が「真」と「偽」の裏返しになっていることも注目すべきことです。
- 妹偽りM・Tからの30通余りの手紙の束
- 主人公偽りM・Tからの手紙を読む
- 主人公真実主人公が書いた手紙だったことが判明
- 妹真実30通余りの手紙は妹が書いたことだと判明
あくまで推測の域を出ませんが…
タイトルの「魔笛」という言葉は、「なんらかの神の力が働いた」もしくは「偶然性」などを強調していると思われます。
M・Tは実在しており、姉の書いた手紙と同じようなことを偶然思ったということも考えられなくもありません。
ほぼゼロに近い確率で主人公とM・Tが同じことを考えているということです。
先述しましたが、軍艦マーチは当時の男性像を想起させる役割があると考えられます。
主人公が手紙に書いたように、強い男性の象徴を考えたとき、時代背景から軍艦マーチが用いられるというのは筋が通ります。
つまり、たまたま妹の死期が迫ったこのタイミングで、たまたま夕方の6時という時間帯で、たまたま当時の男性像を想起させるメジャーな軍艦マーチの口笛を吹いた、ということになります。
まあ、「魔笛」というくらいなので、この説はあくまで妄想になってしまい、文章構造からの推測くらいしか根拠がありませんが…
ちなみに、妹が早く死んでしまうのを「恋に生きた女性として死んだ」と見ることはできそうです。
妹は一家の父が厳酷であり、さらに病弱であるという立場からも自由がきかないという立場でした。
しかし、M・Tが実際に存在していたとなると、唯一死を前に自分のやりたいこと(恋愛)をやり遂げて死んだ、という存在になります。
これらを踏まえると次のようになります。
- 妹真実M・Tからの30通余りの手紙の束
- 主人公偽りM・Tからの手紙を読む
- 主人公真実主人公が書いた手紙だったことが判明
- 妹偽り30通余りの手紙は妹が書いたことだと判明
- 妹真実妹は恋に生きた女性という役割を持って死ぬ
文章構造に着目することで、このような見方もできるというわけです。
考察③ 口笛が聞こえたのは「私」の後付け
これはさらに根拠が乏しい見方になります。
口笛は「吹かれていなかった」、もしくは口笛が聞こえたのは「私」の後付けの演出という考え方です。
そのとき、ああ、聞えるのです。低くかすかに、でも、たしかに、軍艦マアチの口笛でございます。妹も、耳をすましました。ああ、時計を見ると六時なのです。私たち、言い知れぬ恐怖に、強く強く抱き合ったまま、身じろぎもせず、そのお庭の葉桜の奥から聞えて来る不思議なマアチに耳をすまして居りました。
神さまは、在る。きっと、いる。私は、それを信じました。妹は、それから三日目に死にました。
実はこの口笛の描写では妹のセリフがありません。
さらに文体が主人公による回想形式のため、地の文は「私の主観」から構成されています。
「私たちは~耳をすまして居りました。」とありますが、ここに妹のセリフがないということは、妹には何も聞こえていなかった可能性があるということです。(単純に耳を澄ませているだけ)
「あぁ…聞こえる、聞こえるよ、姉さん」みたいなセリフの一つがあってもいいのでは…?
とぴよすけは考えてしまうわけです。
また、妹がそれから(二人が真実を話した)3日後に死んでしまったのは互いに秘密という隠し事がなくなったからであると見ることもできます。
この姉妹くらいの年齢であれば、男性に対する憧れや恋愛に対しての興味があってもいいのかもしれません。
しかし、この主人公である「私」は青春を謳歌することもなく、さらにはシスコンに近い形で妹を大事にしており、男性に対しては「憎悪」のような表現も見受けられます。
これは、私さえ黙って一生ひとに語らなければ、妹は、きれいな少女のままで死んでゆける。誰も、ごぞんじ無いのだ、と私は苦しさを胸一つにおさめて、けれども、その事実を知ってしまってからは、なおのこと妹が可哀そうで、いろいろ奇怪な空想も浮んで、私自身、胸がうずくような、甘酸っぱい、それは、いやな切ない思いで、あのような苦しみは、年ごろの女のひとでなければ、わからない、生地獄でございます。まるで、私が自身で、そんな憂き目に逢ったかのように、私は、ひとりで苦しんでおりました。あのころは、私自身も、ほんとに、少し、おかしかったのでございます。
「姉さん、心配なさらなくても、いいのよ。」妹は、不思議にも落ちついて、崇高なくらいに美しく微笑していました。
姉である主人公は、妹をきれいな形で最後まで居続けさせたかったのではないでしょうか。
その妹の死に際して、妹があくまできれいな形で死を迎えることができるような演出が例の口笛だと考えられます。
まとめ 読むと考える幅がある作品
口笛を吹いたのはそれぞれ考える材料や、読む立場によって想像できるかと思います。
短い作品なので、気になった方はぜひ一度目を通してみてはいかがでしょうか。
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