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石垣りん「表札」:精神の在り場所には自分で表札をかけよう

近々家を建てたいと思っているぴよすけです。

 

家を建てたらお庭や玄関をお洒落な雰囲気にしたいものです。

最近では表札もお洒落になり、デザイン性のあるものを掲げているお宅も増えました。

 

今も昔も変わらず、そこに誰が住んでいるのかを示す「表札」。

今回はまさに「表札」を詩題にしている石垣りんさんの詩を紹介します。

 

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表札

自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。

出典:『表札など』石垣りん

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「様」や「殿」がつくと

石垣りんさんは「様」や「殿」が付くと、「ろくなことはない」と言っています。

なぜ、ろくなことがないのか…

 

まず、「様」や「殿」は他者が言うものであって、自分で付けるものではありません。

丁重なもてなしをする際によく使われますが、石垣りんさんは自分は丁重なもてなしをされるのをあまりよく思っていないと感じているのではないでしょうか。

 

決して自分を卑下しているわけではなく、「私は私」というきちんとした評価を下されるべきであると。

 

「様」や「殿」が付けられる場所では、どんなにみすぼらしくても、どんなに人としてよろしくない行動をしていても、おそらく「様」「殿」が付く場合がほとんどです。

自己に対する正当な評価は、自分が自分らしくあることができるということなのでしょう。

他人から「こういう人である」という決めつけられることに嫌悪感を抱いているように読めます。

 

また、「様」「殿」が付けられると、慣れが生じてしまい、付けられないときに不満を抱いてしまうこともあるでしょう。

社会の中で「様」「殿」が付く場所は多くあります。

サービスを受ける場所、取引先…一言でいえば見知らぬ他者がいる場所です。

店に入れば「お客様」ですが、もし「お客様」として扱われないとどう感じますか?

お客様第一主義という言葉がありますが、その言葉を真正面から受け取り「俺様」「私様」と自分で自分を大きく持ってしまう人もいます。

 

自分自身に対する戒め・謙虚さを忘れないようにとの意味も込められているように感じます。

 

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自分の寝泊まりする場所とは、他者が提供する場所

この詩では病院・旅館・焼き場の鑵を指します。

焼き場は火葬場であり、そこで「殿」が付くことを拒めないのは、もうすでに息を引き取っているからです。

死ぬときでさえ、自分は自分という強い意志がこの詩からうかがえます。

(焼き場は除くとして)病院や旅館は、あくまで一時的に寝泊まりする場所です。

一時的であっても、他人がかける表札に「様」「殿」が付くということは、自分の心に「ろくなことはない」変化を招くということです。

 

一方、自分の住む所とは「自宅」を指すと思われますが、もっと広い意味で「自分が暮らす場所」という意味にもとれます。

自分の心の拠り所である住む場所では、何者にも囚われず暮らすことができます。

自宅同様、「精神の在り場所もハタから表札をかけられてはならない」。

つまり、自分は自分らしくありたい

偉くもないし、卑下することもない。

だからこそ、「石垣りん それでよい」と結ばれています。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。
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