ぴよすけです。
中島敦の代表作である『山月記』は、中国古典の『人虎伝』が下地になっています。
『人虎伝』はすべて漢文なので、高校生のときに読むのが大変でした…
この記事では『人虎伝』の現代語によるあらすじと、『山月記』との相違点をまとめてみました。
漢文は苦手!という人にもわかるようなあらすじに意訳しています。
高校生は『山月記』とセットで授業教材として扱うところも多いかと思います。
ざっくりと、それでいて話がわかるようにしましたので、ぜひご覧ください。
『人虎伝』あらすじ
このあらすじは現代語を用いた意訳となります。
話の流れがわかるようにしたものであって、文法や語法に忠実に沿った現代語訳ではありません。
また、一部省略していたり、意味が通るように付け加えてあります。
李徴の失踪
李徴は皇族の子孫であり、頭もよく、漢詩を上手く作りました。
二十歳で進士の試験に合格し、江南尉に任命されました。
李徴はもともと自分の才能に自信を持ち、おごり高ぶる性格です。
そのため低い役職に満足できず、不満を抱えて楽しむこともなく、人々ともうまく付き合うことができませんでした。
役人の任期を終えた後、彼は人と関わらない生活をします。
しかし生活が苦しくなったため、再び東へ赴き、地方の役人に援助を求めました。
援助を受け、生活に困らなくなった李徴は、自分の家がある西へ戻っているとき急に病に襲われます。
李徴は狂ったように従者を鞭で打ったり、正気を失ったりしました。
10日ほど経ったある夜、李徴は姿を消します。
袁傪との再会
翌年、袁傪という者が南へ勅命を受けて旅をしているとき、宿場の役人から「虎が出る」という話を聞きます。
「虎は人を食うことがある」という忠告を受けたものの、袁傪は出発します。
すると虎が草むらから襲い掛かってきましたが、虎は急に身を返してまたもとの草むらに隠れました。
草むらからは「旧友を傷つけるところだった」という声が聞こえます。
袁傪はその声を聞き、李徴の声に似ていることに気付きます。
李徴と袁傪は同じ時期に官吏登用試験に合格しており、付き合いが深かったのです。
袁傪は草むらに向かい「あなたは誰か」と問います。
すると草むらからはすすり泣く声が聞こえ、「私は李徴である」と答えがありました。
袁傪は馬から降り、「なぜここにいるのか」と問います。
虎(=李徴)は袁傪の役人としての現在の立場に祝辞を述べ、また袁傪も李徴との久しぶりの再会に挨拶を交わします。
袁傪はなぜ草むらに隠れたままなのか質問しました。
李徴は「今や自分は虎の身となってしまった」と答えます。
袁傪は李徴の話に耳を傾けます。
李徴が虎になるまで
虎は自分の身に起きたことを説明しました。
かつて私は呉や楚を旅していた。
家に帰ろうとしていたところ、突然病に襲われ発狂してしまったのだ。
夜に私の名を呼ぶ声があり、その声を追って山や谷を走り回ってたが、やがて手で地面をつかみながら走っていた。
心や力が強くなり、体には毛が生えていて、谷川で姿を映すとすでに虎になっていた。
虎となった自分は、そのうち生きていくために動物を食べるようになった。
獣たちは虎である自分を恐れるようになり、飢えがひどくなったとき、とうとう自分を抑えることができず人を食べてしまった。
人を食べて以来、どんな人でも、どんな生き物でも食べてしまうようになってしまった。
もちろん妻子や友人のことを思うこともある。
しかし自分の行いが神に背いたことで、獣の身となってしまった自分は人と会うのが恥ずかしいのである。
だから獣の姿で会うことができないのである。
李徴はため息をつき、泣きながら言いました。
袁傪は李徴が人の言葉を使っているのを不思議に思い、尋ねます。
李徴は「姿が変わっているが、心は人間のままである。ここ最近はこの道を通る人も減って腹が減ってしまった。旧友を襲いそうになり、恥じ恐れている」と答えました。
袁傪は羊の肉ならあることを告げると、李徴は袁傪が去るときに置いて行ってくれと頼みます。
李徴の頼み
李徴は袁傪に「君とは深い付き合いがあり、友人である。頼みごとを聞いてほしい」と申し出ます。
李徴の頼みは「妻子に死んだと伝えてほしい。決して今日のことだけは明かさないように」というものでした。
続けて「人間だった時、私は財産がなかった。子供もまだ小さかった。君の力で私の家族を助けてやってくれないか」と頼み、李徴は涙を流します。
袁傪も涙を流し、李徴の意に沿うよう答えます。
李徴はさらに詩についても依頼をします。
「まだ世の中に広まっていない、読まれていない詩がいくつかある。原稿が残っているかもしれないが、ばらばらになっているかもしれない。私のために世の中に出ていない詩を記録してほしい。その詩が文人たちの間で広まらなくとも、子孫に伝わることが大切である」
袁傪はすぐに従者を呼び、虎のいう詩を書きとらせました。
二十編近くある詩はどれも格調高く、非常に良い内容で感嘆するものばかりでした。
虎は即興の詩を作ることを提案します。
「私は人間と異なる姿だが、中身は人間であることを表したい。私の思い、憤りを表現したい。」
袁傪は従者にその詩を書かせます。
李徴の即興の詩
偶然、病によって異類の身となってしまった
災いから逃れることはできなかった
今ではこの爪や牙に誰が敵対しようとするか(いや、誰もしない)
かつて(私とあなたは)ともに評判高かった
私は獣となって草の生い茂る中にいるけれども
君は馬車に乗り勢いが盛んである
今夜、この山で見える明るい月に対して
声を長く引き詩を吟ずることもできず、ただほえ叫ぶだけである
虎になった理由
袁傪は李徴に「虎になったのには、何か残念な理由があるのではないか」と問います。
その質問に、李徴は「思い当ることがある」と答えました。
かつて南陽の郊外で、夫に先立たれた女性と交際していたことがある。
その女性の家族が交際のことを知り、私をおとしめようとする心を持っていた。
そういうことからこの女性とは会うことができなくなってしまった。
私は風に乗じて火を放ち、一家を焼き殺してしまったのだ。
このことが残念でならない、と李徴は話したのです。
二人の別れ
虎は袁傪に言いました。
「この道はもう二度と通ってはならない。私がいつか心も虎になっていれば、今度は君を思い出せず襲ってしまうだろう。これは私の切なる願いである。前方百歩のところの丘に行ったとき、私の姿を見せよう。勇猛さを誇るのではなく、二度とここを通ろうと思わせないためである」
二人は長い間別れの言葉を述べました。
袁傪は悲しみながらも馬を進め、言われたとおり振り返りました。
すると虎が林の中から躍り出て、大きく吠え険しい谷を震わせるようでした。
『山月記』との違い
中島敦の『山月記』との主だった違いは以下の部分です。
『山月記』 | 『人虎伝』 | |
李徴の出自 | 特になし | 皇族の子孫 |
李徴が役人を辞めた理由 | 詩を作るため | 役人の任期を終えたため |
再び働きに出た理由 | 妻子の衣食(生活)のため 詩業に半ば絶望したため | 生活が苦しくなったため |
李徴の依頼の順番 | ①詩の伝録 ②妻子の生活の面倒を見てもらいたい | ①妻子の生活の面倒を見てもらいたい ②詩の伝録 |
李徴の詩について | ・格調高雅、意趣卓逸 ・作者の素質は第一流だが、作品が第一流になるには何か足りない | 文甚だ高く、理甚だ遠し (格調高雅、意趣卓逸とほぼ同義) |
虎になった理由 | ①さだめ(運命)ではないか ②病ではないか ③臆病な自尊心と尊大な羞恥心 ④妻子より自分の詩業を気にかけてしまう人間性 | 未亡人と密会していたが、その家族が李徴のことをよく思っていなかった。 李徴はその家族の家に火を放ち、焼き殺してしまった。 |
他にも細かい相違点はあります。
特に漢詩についての李徴のこだわりは、『山月記』と『人虎伝』では異なっている部分が多いです。
また、虎になった理由が大きな違いと言えるでしょう。
登場人物の性格などは基本的に『人虎伝』を踏まえられています。
『山月記』では袁傪の発言があまりないので、『人虎伝』では意外と喋っている印象がありました。
羊の肉を置いていくシーンがありますが…
直訳だと「今はあなたと話しているから食べる暇はない」という李徴のセリフがあり、真剣なのに面白く読める部分もあります。
読み比べてこそ面白い
漢文を訳すのって大変ですね。
言い回しがやたら固かったり、話が途中でぶっ飛んだり…
でも、読み比べることで『山月記』ではこうだったとか、『人虎伝』ではこうなんだ、という面白さが発見できます。
古典作品を下地に新しい作品を生み出すという考え方がちょっとだけわかるような気もします。
芥川龍之介や森鴎外もこういった手法で新たな作品を生み出していました。
いろいろな作品を知っていたからこそできるワザですね。
『山月記』をもっとおもしろく読めるようにまとめた記事はこちら!
ぴよすけです。 中島敦の代表作、『山月記』は普通に読んでもおもしろいです。想像を膨らませるともっとおもしろいです。 特に李徴という主人公、本当はめちゃくちゃ腹黒いんですよ?[…]
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