約30年続いた平成が終わり、新しい時代「令和」が始まりました。
今の子どもたちからすると昭和はもう古臭い時代なんでしょうね…
現代まで読み継がれてきている「明治の文豪」たちの作品などは現在の生活様式との大きな違いがあって、もっと想像できないと思います。
特に結婚については明治と現代では大きく違っています。

そんなの大昔の話じゃないの…?
こんな声が聞こえてきそうですが…笑
この記事では小説をもとに明治時代の結婚観について触れています。
明治時代の結婚観
いつの時代も好きな人と結ばれるというのは素敵なこと!
だからこそ、人類はここまで繁栄してきたといっても過言ではありません!
現代の日本では多様な考え方・生き方が認められ始めています。
性の在り方然り、結婚の在り方然りです。
しかし、明治時代の結婚観は現在と大きく異なっていました。
男尊女卑が残る時代
大正時代になると「言論主義」「男女平等」などが叫ばれるようになりますが、明治時代はまだ男尊女卑が残っていました。
現在もそうじゃないか!…という論争もありますが、今よりもっと色濃く存在していました。
その元となっていた例えのひとつに家長制が挙げられます。
家父長制(かふちょうせい、ドイツ語: Patriarchat、英語: patriarchy)は、家長権(家族と家族員に対する統率権)が男性たる家父長に集中している家族の形態。「父権制」と訳されることもある。古代ローマに、その典型を見ることができる。日本の明治民法において、家長権は戸主権として法的に保証されていた。
家父長制はパターナリズム(paternalism)ともいわれる。父と子の関係にしばしば見られるような、他者の利益を名目に他者の行動に強制的に干渉しようとする考え方のこと。父親が小さな子供のために、よかれと思って子供の意向をあまり聞かずに意思決定することから来ている。父子関係以外にも、医師などが、患者の健康を理由に患者の治療方針を一方的に決めるような場合も例に挙げられる。
出典:Wikipedia
この家父長制の引用の中にある戸主はほとんどが男性だったそうです。
一家を統率するという部分から、男性が主導権を握る場面が多かったようです。
家父長制度、父権制あるいはそれに準じる意識がDVの原因となっているとの研究や指摘がある。
出典:Wikipedia
どうしても男性には強い力があったようですね。
大黒柱という言葉があるように、父親は家族の中では頼りになる存在で絶大な力がありました。
一方で家庭内で暴力が振るわれていたイメージもつきまといます…。
この男尊女卑が残る明治時代の結婚を、作品の一節とともにどう描かれているかを見てみましょう。
小説作品から読み解く恋愛・結婚観
実際の作品から、当時の恋愛・結婚観を見ていきましょう。
夏目漱石『こころ』「下:先生の遺書」に登場する「私(先生)」と「お嬢さん」の関係は、まさに明治時代真っ只中のやり取りが見受けられます。
夏目漱石『こころ』:私がお嬢さんとの結婚を奥さんに申し込む場面
「先生の遺書」に登場する「私(先生)」は大学生で、居候先の「お嬢さん」が気になっていました。
私は居候先の家主である「奥さん」にお嬢さんとの結婚の承諾をもらう場面があります。
この結婚を申し込むという場面の中で、私が「自分には親がいない」ということを言います。
私はかつて両親を亡くし、育てられた叔父に財産を横領されたという過去があります。
そのため、頼りになる親類がいなっかったのでこのような言い方になったわけです。
現在の結婚は形態も大きく自由度が増し、法に定められた年齢になれば本人たち同士の同意のみで結婚できます。
当時の結婚は現代以上に家同士が同意しているという部分に重きが置かれていました。
「私」がまだ大学生であった、という部分も承諾をもらわねばならないポイントでもありました。
また、このシーンではお嬢さんに了解を得ていませんが、お嬢さんは私のことが好きであるということが奥さんには伝わっています。
そのため、本人に了解を取っていませんが、親が決めたことに子が従うという構図がうかがえます。
ちなみに私は奥さんに結婚の申し込みをしたのであって、お付き合いしたいという部分には触れていません。
▼明治時代の大学生についてはこちら▼
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太宰治『葉桜と魔笛』:当時の結婚前の恋愛観
結婚に至るまでのプロセスの違いについて、今度は太宰治の作品をもとに説明していきます。
この話では、父親は厳格・頑固な学者気質、姉は20歳で一家を切り盛りし、妹は病気で余命が短いという家族が登場します。
そんな妹が、町の売れない歌人と文通をしていることを、偶然にも姉が知ってしまうシーンがあります。
私も父も、こんなにどっさり男のひとと文通しているなど、夢にも気附かなかったのでございます。
(中略)あの厳格な父に知れたら、どんなことになるだろう、と身震いするほどおそろしく…
このような表現から、明治時代は現代と異なり、異性と簡単に付き合うということがほとんどありませんでした。
現代では「付き合って一週間で別れた」とか「付き合って100日もった」とか中学生がよく口にしていますが…笑
「キズモノにされた」という言葉、さらにそれに続く言葉で「これではお嫁にいけない」という表現を聞いたことがあると思います。
この「キズモノ」とは、まさに処女性が失われた女性のことを指し、肉体関係を結ぶというのは普通は婚姻後だったことを指します。
つまり、明治時代は広く一般的には清く健全なお付き合いがなされていたわけです。
また、病弱な妹が病気で残り少ない命の中、もっと生きたいということを姉に伝えるシーンでは「大胆に遊べばよかった(=恋愛をもっとしておけばよかった)」という表現があります。
この当時、女性側から付き合いたいという提案(プロポーズ)はほとんどありませんでした。
上記のように清く健全なお付き合いをしていた時代ですから、男性側が恋愛を主導していたことが多いようです。
女性側が男性に言い寄ってしまうと、それこそ「はしたない」という評価が下されたようです。
公的機関の調査からも見合い婚中心という裏付けが!
国立社会保障・人口問題研究所調査の調査結果では、調査が始まった昭和初期(1930年代)は恋愛結婚が13.4%、見合い婚は69%にもなります。
※100%にならないのは「その他」「不詳」の回答のため
基本的には何らかの情報をもとに見合い婚を前提に付き合い始めるほうが多かったというデータです。
この調査は1930年から始まったため、1900年あたりも同じようなデータとなっていたでしょう。
明治の結婚観は「家」と「健全」がキーワード
いかがだったでしょうか。
現代との比較をすることで新しい発見はもちろん、当時の背景がわかった上で小説を読むとまた違った味わいが出てきます。
きちんとそういう背景を抑えて読むことで、いろいろ考えさせられる部分も出てきますね。
お時間がありましたら、以前の考察も併せてご覧ください。
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