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芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』宇佐見りん:3つの謎を徹底考察

ぴよすけです。

 

2021年1月に芥川賞を受賞した、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』を読みました。

普段は芥川賞作品を積極的には読まないのですが、今回は最年少受賞などの報道の話題性から書店で購入してしまいました。

 

帯には島本理生さん、朝井リョウさんら著名人の絶賛の文字が並んでおり、どれほどすごい作品なのか読む前から気になっていました。

 

この記事では読んでみての感想と、考察してみたことを記しています。

 

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はじめに

本記事は『推し、燃ゆ』の考察記事となっています。
重大なネタバレを含んでおりますのでご注意ください。
なお、考察内容等はあくまで筆者の個人的な見解となります。

本記事の引用は『推し、燃ゆ』宇佐見りん(2020年9月・河出書房新社)に拠っています。
引用部分の( )はページ数を示しています。

作品データ

作品データ著者:宇佐見りん
発表:2020年9月(河出書房新社)

逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。

出典:河出書房新社HP

宇佐見りんさんの2作品目となる今作は第166回芥川賞を受賞

芥川賞を史上3番目の若さで受賞というニュースは、多くのメディアで取り上げられました。

 

【第164回芥川賞受賞作】逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。

2021年2月9日現在、本屋大賞にもノミネートされています。

おもな登場人物

山下あかり

主人公の女子高校生。(物語途中、原級留置が決まり高校を中退)

まざま座というグループの上野真幸という男性アイドルを推している。

父は海外単身赴任、母と姉と同居。

上野真幸

まざま座という5人アイドルグループの1人で、あかりの推し。

作品冒頭、ファンを殴ったらしいとの情報が流れ、炎上した。

 

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読んだ感想

中高生には共感できる内容

推しを推している・推していたことがある人にとって、とても共感できるテーマでした。

推しを推す理由や推し方は人それぞれであり、それらをうまく描いています。

 推しとは

他人に薦めるほど気に入っている人、モノを指す言葉です。

2010年あたりに某女性アイドルグループが活躍しはじめたころから使われるようになりました。
「いち推しのメンバー」という「推しメン」という言葉が認知され始め、その後は人以外にも使える「推し」という言葉が登場しました。

 

写真集を3つ買うという描写がありますが、この部分はこだわりを持って突き詰めようとしたことがある人(つまりオタク)にとってはわかりやすかったです。

ぴよすけも大好きだったアニメグッズを3つ買っていた頃が思い出されました…

 

グッズを買うために自分にとって大変な仕事をしてでもお金を貯めるという描写もリアルでした。

 

楽しみという目的のためにお金を稼ぐというのはある意味健全です。

好きだから仕事をしているという人よりも、多くの人が「仕事が嫌だけど、今度の休暇で旅行するから頑張る」とか「買いたいものがあるからお金を稼ぎたい」という生活循環が成り立っています。

それはオタクも例外ではなく、なぜ働くのか(稼ぐのか)という動機づけになっています。

 

仕事で自己の能力を活かして活躍する・働くということで自己形成をし成長していく、というような高校生にとっての働き方理想論よりはるかに現実味がありました

 

またSNS(ツイッター・インスタ)も登場し、「インスタライブ」の場面などは手に取るように想像できると思います。

ちなみにぴよすけはインスタライブという言葉は知っていても見たことがない人間なので、調べながら読みました。(^^;

 

著者の宇佐見りんさんが21歳ということで、高校生の心理に肉薄している作品だと感じました。

 

描写はやや難しめ

心情描写は的確な比喩が用いられて想像しやすい反面、語彙力や想像力が養われていない中学生あたりにはやや難解に感じられるかもしれません。

中学生だけでなく、純文学に馴染みがない高校生あたりでも「話題になったから読んでみたけどちょっと難しめだった…」と感じるのではないでしょうか。

 

「肉体の重さ」や「背骨」といった表現は、あかりの自己感情・推しとはどのような存在かを表す場面で多用されており、人によってはなかなかピンとこなかったりひっかかったりするかもしれません。

 

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『推し、燃ゆ』の3つの考察

考察1 タイトルの意味

作品タイトルの『推し、燃ゆ』は、古典的な表現ですね。

現代語訳すると「推しが燃える」となります。

現在形であり、「推しが燃えた」という過去形ではありません。

「推しが燃えた」という過去形にすると、「推し燃えけり」となります。

 

このタイトルが意味するところは次の2つでしょう。

① 推しの炎上

② 推しが引退し、一般人に戻ったこと

 

① 推しの炎上

冒頭部分、いきなり「推しが燃えた」と始まるので、タイトルは「推しがファンを殴り炎上した」と解釈するのが普通でしょう。

しかし実は作中を通して、推しはずっと燃え続けており、最終的に推しが引退する際にも炎上しています。

 

ファンを殴ったことはあくまで炎上のきっかけとなる出来事です。

物語の時間軸が進むにつれて鎮火していきますが、1年経ってもアンチのネガティブコメントを目にする描写があります。

去年の七月に炎上してからもう一年以上が経っていたから、少しずつ好意的なコメントが増えている。まだ根強いアンチは見かけるけど、そういう人が新規のファンよりも長いあいだ推しの動向を追っているのは単純に驚きだった。(p.86)

 

現実世界でも同じように、有名人が炎上するキッカケは不倫や失言、不遜な態度などさまざまです。

そういった出来事が起きた直後は、ワイドショーをはじめ週刊誌やネット上ではひっきりなしに取り上げられます。

 

徐々に別のニュースが話題になり、一見すると沈静化したようになっていきますが、中にはこの小説のように根強いアンチは存在し続けます

自分自身が根強いアンチになっていなければ、炎上した人は「しばらくおとなしくなっている」ように見えます。

炎上した人が再び何かしらのアクションを起こすと、根強いアンチたちのネガティブコメントがニュースコメント欄にあふれることは日常茶飯事です。

 

推しの動向をずっと探っているあかりにとっては「推しが燃えた」という一過性の出来事ではなく、燃える様子が連なっていると見えるのです。

 

つまり炎上が続いていたから「推しが燃えた」という過去形にならなかったのではないでしょうか。

 

② 推しが引退し、一般人に戻った

タイトルの「燃ゆ」は推しが引退し、ただの一般人になることも表現しています。

あかりにとって、推しの引退は「推しの死=燃える」という解釈になるのです。

 

推しの引退発表前に、あかりの祖母が亡くなります。

しばらくページをめくると祖母の火葬シーンの回想があり、死=火葬、つまり燃えるということが描かれています。

ふと、祖母を火葬したときのことを思い出した。人が燃える。肉が燃えて、骨になる。(p.122)

 

また推しの最後のライブで

最後の瞬間を見とどけて手許に何もなくなってしまったら、この先どうやって過ごしていけばいいのかわからない。推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。(p.112)

とあります。

 

推しが引退しただの人になるというのは、「余生」という最愛の人を失った残りの人生という喪失感を持った言葉で表され、言い換えれば推しが死ぬということを意味しています。

つまり死ぬと火葬することから、推しが引退しただの人になる=推しが燃えるという読み方もできます。

 

考察2 あかりの病気とは何だったのか

あかりの病名は作中では明かされませんが、おそらく発達障害だと思われます。

保健室で病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた。(p.9)

「ふたつほど診断名がついた」とありますが、発達障害は1つだけでなく複合的に持ち合わせている場合もあります。

 

発達障害とは?
本作品でいう発達障害は四肢や臓器の発達が妨げられる医学的なものではなく、教育現場や社会的にみられるコミュニケーションや学習の不得意に関するものです。

たとえばASD(自閉症スペクトラム)は以下のような特徴があります。

・感覚の過敏さ、鈍感さ

・予想していなかったことが起きるとパニック

・自分なりのやり方やルールがある

・趣味や興味が偏る

 

明確に主人公あかりに当てはまるものもありますね。

 

実はこれらの例をすべて満たしていても、病院に行かない人もいますし、もし病院に行っても必ずASDだと判定されるわけではありません。

 

またあかりには物を忘れる、片付けができない、漢字が覚えられないという行動の特徴もみられます。

物忘れや片付けが不得意なのはADHD、読み書き算のどれかひとつがまったくできないのはLDと呼ばれます。

 

発達障害は複合的であり、ずっと表出しているわけではない

では今回のあかりに該当する発達障害は何かというと、明確にこれだと断言できるものではないのです。

 

読んだ限りで考えられる診断名をひとつ挙げるとするとADHDだと思われます。

 

あかりが忘れないようにメモをとっている場面があります。

ADHDの傾向の子どもには、「メモをとること」を指導するのが一般的です。

ルーズリーフを四つ折りして、ペンで「数学教科書、診断書」と書き込んだ。(p.26)

 

ADHDは注意欠陥・多動性障害と訳されますが、多動性はあかりに当てはまりません

注意欠陥と多動性は一緒に表出しない場合もあり、また年齢を重ねると多動性が治まるパターンもあります。

 

中にはASDが正しいと思う人もいるでしょうが、「ASDだ」「ADHDだ」という診断名のラベルを貼ったから、すべての行動がその診断名通りになっているわけはありません。

 

人には得手不得手があるように、ASDと診断されても軽度な場合、状況によっては普通の人となんら変わらない場合、むしろ普通の人よりも優れている場合があります。

 

ASDの確定診断が出たからといって、すべてのASD診断者と同列視することはできません。

 

同様にADHDの傾向があるからといっても、周囲の助けを借りることで改善されることもあります。

 

病名を伏せたまま完結した理由

現実世界で発達障害を支援する上で必要なのは、どういう病名がついているかが大切なのではなく、その人の特性や個性を尊重していくことです。

 

そのため、本作品の少女の病名がきちんと明かされなくても「あかり」という個人をどう見るかということが読者にも求められているのではないでしょうか。

 

発達障害は一昔前と比べて急速に認知され始めているので、多くの人が耳にし身近なものになりつつあります。

病気というと病院に行って診断を受けるというプロセスを経ますが、中には病院に行かない人もいて、いわゆる「グレーゾーン」の人も社会には多くいます

 

そして現在の社会はグレーゾーンの人に対して個性を尊重し支援していくことが求められています。

 

グレーゾーンにいる人は周囲から見ると「もっと空気読んでよ」とか「なんでしっかりできないの」という「普通」を求められます

しかし実は一番困っているのは「グレーゾーンにいる人」と言われています。

 

周囲の人(特に身内や親しい人)は「この人にはこういう傾向や特徴がある」という理解をし、支援の手を差し伸べることで、社会に馴染んでいきます。

 

過去の芥川賞受賞作にも似たような作品が

同じように登場人物が発達障害傾向にある作品として、『コンビニ人間』が思い浮かびました。

 『コンビニ人間』とは
『コンビニ人間』は村田沙耶香さんの作品で、第155回芥川賞を受賞しました。

 

この作品を読んだ時にも「明確に発達障害とは書かれていないけど、たぶんそうだろうなぁ」という感想を持ちました。

むしろ『コンビニ人間』の主人公のほうが発達障害の傾向が強いように描写されていたように感じます。

 

うまくコミュニケーションがとれない・自分にとっての普通と周囲にとっての普通が違う・普通とは何なのか…

それを如実に描いているのが『コンビニ人間』であり、『推し、燃ゆ』だと感じました。

 

考察3 結末「綿棒をひろった」部分はあかりの今後を暗示している

結末部分で綿棒を拾うシーンは、これからのあかりの生き方を象徴しています。

 

自分で散らかしたものの中から率先して綿棒を拾い上げる(他のものより綿棒を選択した)このシーンは

・死んだ人のお骨を拾い上げる=推しのことを偲び(思い)ながら生きていたい

・自分で自分の生きる道や他者が言う生き方があかりにはまだ理解できないでいる

という2つの意味があると思われます。

 

お骨に見立てた綿棒

まず、結末部分の綿棒はお骨を想起させるものです。

綿棒をひろった。膝をつき、頭を垂れて、お骨をひろうみたいに丁寧に、自分が床に散らかした綿棒をひろった。

 

先述しましたが、誰のお骨かを考えるとおそらく引退した推しだと思われます。

推しの引退は推しが死ぬことを意味しており、死後は火葬され骨となります

 

骨も綿棒も白色であり、形状も細長いことから綿棒はお骨を象徴しています。

 

また綿棒は基本的に清潔な状態で保管するものであり、ケースに入った状態であれば、未使用つまり汚れて(穢れて)いないことになります。

あかりにとって推しは神格化され神聖なものであり、汚れがない・穢れていない綿棒の性質とも一致します。

新曲が出るたびに、オタクがいわゆる「祭壇」と呼ぶ棚にCDを飾る。(p.36)


この部屋は立ち入っただけでどこが中心なのかがわかる。たとえば教会の十字架とか、お寺のご本尊のあるところとかみたいに棚のいちばん高いところに推しのサイン入りの大きな写真が飾られていて、そこから広がるように、真っ青、藍、水色、碧、少しずつ色合いの違う額縁に入ったポスターや写真で壁が覆い尽くされている。(p.37)

 

綿棒は自分が生きるために出したごみと対照的に描かれている

綿棒と対照的に描かれているのが、自分が生きるうえで出たごみです。

あかりは部屋の片づけをする際に、「後始末が楽」という理由から綿棒を拾いはじめます。

綿棒をひろい終えても白く黴の生えたおにぎりをひろう必要があったし、空のコーラのペットボトルをひろう必要があったけど、その先に長い道のりが見える。
這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。
二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。(p.125)

 

これらは自分自身が生きるために食べて飲んだものの残骸です。

綿棒が汚れていない状態であるのと対照的で、リモコンやどんぶりなどは自分自身の垢(=汚れ)が付いています

 

また、綿棒は人によっては必要なものであり、誰もが必ず必要とするものではありません。

つまり推しを推すような存在です。

 

上野真幸というアイドルは誰かにとっては必要な存在ではあるものの、必要ない人にとっては生きるうえでまったく必要ありません

 

綿棒を拾うことにしたあかり

「這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。」とは、あかりのこれからの生き方を象徴しています。

 

汚れのない綿棒を率先して(他のものを後回しにして)拾い上げるということは

推しが引退した後もこれまでのように推しのことを偲び(思い)ながら生きていき、自分の生活を後回しにすること

が暗示されています。

 


 

また自分で自分の生きる道がわからなかったり、他者が言う生き方があかりには理解できていなかったりすることの象徴でもあります

 

物語途中で周囲の人間があかりに生き方を提示しています。

学校の先生は原級留置の心配をし、高校は卒業したほうがいいと助言します。

でもやっぱり卒業はしたほうがいいよ、あと少しは全力でやったほうがいい。これから先のことを考えても(p.74)

両親は就職をどうするのか、いつまでも養っていけないという事実を突きつけます。

働かない人は生きていけないんだよ。野生動物と同じで、餌をとらなきゃ死ぬんだから(p.91)

 

そんな周囲の大人の提案に対し、あかりは「誰もわかってくれない」という苦しさを抱えています。

推しが苦しんでいるのはこのつらさなのかもしれないと思った。誰にもわかってもらえない。(p.91)

 

大人の言葉が素直に受け入れられていれば、おそらく生活を立て直すために黴の生えたおにぎりを何とかしようと思います。

しかし結局「後始末が楽」という綿棒を拾いはじめ、「これがあたしの生きる姿勢」だとあかりは思います。

 

推しが引退して(死んで)しまった、けれども自分にはまだ推しを推す以外の生き方が見つけられていないし、大人の言葉が自分の中で処理できないでいる、と解釈できます。

 

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まとめ

『推し、燃ゆ』は、単純に「推していた推しが燃える」だけの話ではありません。

生きるとはどういうことか、どういう生き方があるのかを読者に問いかける作品だと感じました。

 

生きるとは何か、どういう煩わしさがあるかを問いかけていると感じたのがこの部分。

足の爪が伸びている。親指から、剃ったはずの毛が飛び出している。どうして、切っても、抜いても、伸びてくるのだろう。鬱陶しかった。(p.58)

 

ニキビができれば痛みを感じ生きていることを実感します。

爪や毛が伸びることを認識すれば生きていることを感じます。

 

しかしあかりにとっては生きるということ=鬱陶しさにつながっています。

著者の宇佐見りんさんがあかりを通して描き出した「生きるとは何か」というテーマの1つの答えが、今回の『推し、燃ゆ』であり、共感できる読者もいるはずです。

 

自分の在り方に疑問を持ち、生とは何かという答えが見つからない女子高校生の内面がありありと描かれている良作でした。

 

また帯にある豊崎由美さんの言葉として

「すべての推す人たちにとっての救いの書であると同時に、絶望の書でもある本作を、わたしは強く強く推す」

とあります。

この言葉に強く共感できる一冊です。

【第164回芥川賞受賞作】逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。
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