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【小説】『羅生門』芥川龍之介が書きたかった主題は「道徳」!下地の作品との比較をしながら解説

『羅生門』芥川龍之介が書きたかった主題とは?下地の作品との比較をしながら解説

小説の主題は普通、読み終えた人が考えるものだと思います。

 

ところが『羅生門』の作者である芥川龍之介は「この作品はこういうことを主題に書いた」ということを自筆で残していました。

芥川が『羅生門』で伝えたかったテーマ、それは「道徳」です。

 

この記事では『羅生門』の主題とともに、下地となった作品について述べています。

 

まず、主題の解説に入る前に、『羅生門』の下地(材料)となった作品について触れておきます。

この下地になった作品と比較することで、主題の見方・考え方がかなり異なってきます。

 

『羅生門』のあらすじを知りたい方は以下の記事にまとめましたのでご覧ください。

 

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『羅生門』には下地となる作品があった

『羅生門』には下地となる作品があった

芥川龍之介は小説の素材として古典作品を用いています。

実は『鼻』『藪の中』などの有名作品は、古典作品から話の題材を持ってきているんですね~。

 

今回のお話『羅生門』では『今昔物語集』巻二九の〈羅城門の上の層(こし)に上りて死人を見たる盗人の語〉という作品が下地になっています。

 

『今昔物語集』とは

『今昔物語集』は全31巻、約1000話を集めた現存最大の説話集です。

 

説話集と言うと、仏教が関係するような話を想像し、なんだか難しく感じますが…

約1000ある話のうちの3分の1くらいは、民衆や武士、僧侶、学者などが登場し、平安時代を生きる者の姿が描かれています。

 

話が豊富にあるため、芥川龍之介以外にも菊池寛や谷崎潤一郎なども『今昔物語集』から自身の小説作品の素材を見出しているんですよ。

 

芥川龍之介『鼻』の下地となった作品解説はこちら▼

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下地となった作品のあらすじ

以下が『今昔物語集』巻二九〈羅城門の上の層に上りて死人を見たる盗人の語〉のあらすじです。

 


 

昔あるところに、盗みをするために京の都を訪れた男がいました。

羅城門の近くまで来ると人がまだ多かったので、盗みは日が沈んでからにしようと考えました。

しかし、羅城門は京のメインストリートである朱雀大路の入り口にあるため、外から人がやって来ます。

男は身を隠すため、羅城門の上層に上ります。

 

羅城門2階では松明の明かりがついています。

2階には若い女の亡骸が捨てられており、その死体の髪の毛を抜く白髪の老婆がいました。

男は「鬼か、死人が蘇ったか」と思い、刀を抜き、老婆の前に姿を現します。

 

老婆の前に現れた男は、老婆に何をしていたかを問い詰めます。

すると老婆は手を合わせて命乞いをしました。

そして次のように答えます。

「仕えていた主人が亡くなってしまった。葬ってくれるものもいないので、この羅城門に持ってきた。髪がとても長い方だったので、抜いてカツラにしようと考え、髪を抜いていた。どうか助けてほしい」

 

盗人の男は、若い女の死骸の衣、老婆の衣、さらには老婆が死体から抜き取った髪を奪い取って姿を消しました。

羅城門上層には、死骸がごろごろ転がっており、死者を埋葬できない理由で門の上に置いていったのです。

この話は盗人の男が人に語ったことを伝えた話です。

 


 

とても短い文章で、わずかばかりの古文と漢文の知識があれば、5分もかからずに読めてしまう作品です。

 

2つの作品における同じ点・異なる点

芥川は『今昔物語集』を下地としつつ、自分のオリジナル作品を創り上げていくために設定やストーリーの一部を変更しています。

 

この下地の作品と異なる部分があるということは、芥川が何らかの意図を持って変えたと見ることができます。

 

まず、2作品における同じ点として以下の部分が挙げられます。

・門の2階には死体がある

・老婆が髪を抜いている

・男が老婆から衣を剥ぎ取って逃げる

 

これらは芥川龍之介の『羅生門』と酷似しています。

 

その一方で、異なる点が以下の部分です。

・男がもともと盗みを働くために京の都へ来たという設定

・若い女の死人の衣も剥ぎ取った

・老婆の持っている女から抜き取った髪を奪い取った など

 

当然、すべての内容が同じになってしまうと、それは盗作や模倣ということになってしまい、作品の価値はここまで高くならないでしょう。

「芥川龍之介の『羅生門』」という高い評価が現在まで続いているのは、オリジナルである『今昔物語集』に自分の心情や多くの比喩表現等を味付けし、リアリティがある作品となっているからです。

 

この異なる部分について、「なぜ下地の作品と変える必要があったのか」に注目して主題を見ていきましょう。

 

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『羅生門』の主題「道徳」について

de] 『羅生門』の主題「道徳」について

本記事のタイトルにもある『羅生門』のテーマについて述べていきます。

 

まず、芥川龍之介本人が大学ノートに書いた文章にこのような記述があります。

 


「羅生門」は、人間の生き方への私のある一つの見方を具体的に表現しようとした短編である。(中略)私は道徳の問題を扱ったのだ。私の考えでは、少なくとも教養のまったくない俗物のような人物の道徳なるものは、その時々の気分や感情の産物であり、その時々の状況によっても左右されるものである。

 

これらは英文で記されており、上記は和訳したものです。

この和訳にあるように、芥川はこの小説を通して道徳の問題を扱いたかったということを述べています。

 

それでは、下地となった作品を踏まえた上で、どのような部分に「道徳」が見られるかを確認していきます。

 

下人を通して道徳を描きたかった?

2作品(=『今昔物語集』と『羅生門』)の大きな違いとして、主人公の男の描き方があります。

もともと盗人だったのか、それとも下人が盗人になるという違いですね。

 

『羅生門』では下人が「飢え死に」を選ぶか「盗人になる」のか決まっていない状態から話が始まります。

一方、下地となった『今昔物語集』で登場する男は、すでに「盗人」という表現が用いられています。

 

人物の属性は異なるものの、話の大筋はオリジナル版の『今昔物語集』も、芥川作品の『羅生門』も、最終的に老婆の衣を剥ぎ取って姿をくらまします。

 

つまり芥川は、道徳を主題にした小説を書くために主人公の属性を変える必要があったと思われます。

 

下人が変化していく過程が主題とつながる

芥川はなぜ主人公をただの下人にしたのか。

『羅生門』で下人の気持ちに変化が生じた(=盗人になる決意を固めた)のは、老婆の自己弁護の場面です。

成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りにんだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。

老婆の論理では、「死んだこの女は悪事を働いて生きていた。自分はこのままでは死んでしまう。だから悪事を働いたこの女の髪を抜いてかつらを売って生きていくのは仕方ないことである。」というものです。

 

おそらく、もともと悪事に手を染めている男が主人公だったら、この老婆の言い分はそこまで重みを持ちません。

なにせ『今昔物語集』の男は命乞いする老婆から問答無用で奪い取っていますし。笑

 

普通の善良な生活をしていた若者が、あるとき困難に見舞われてしまい、生きるか死ぬかの選択を迫られるからこそ、道徳的な判断が求められているシーンが生きてくるということが考えられます。

 

下人と老婆の決定的な違い

では具体的な道徳的な判断がどのように描かれているかを見てみましょう。

 

老婆の言い分に下人が影響されたのであれば、下人はそこらへんに転がっている死体から老婆と同じように髪を抜いたり、衣を奪い取ればいいわけです。

オリジナルの『今昔物語集』でも女の死体から衣を剥ぎ取っているわけですから。

 

しかし、芥川作品の下人は生きている老婆から衣を剥ぎ取りました。

つまり、老婆と下人の決定的な違いは、以下の2点になります。

① (老婆の言葉を借りるならば)「仕方なく」悪事を働いているかいないか

② 死んだ者から奪うのか、生きている者から奪うのか

 

① 生きるために「仕方なく」? カルネアデスの板との比較

自分が生きるためにやむなく罪を犯してしまうことが、必ずしも法で裁かれるというわけではありません。

『羅生門』の老婆や下人の行為は、緊急避難という法律上の制度であるという考え方です。

緊急避難(きんきゅうひなん)とは、急迫な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害したり危難を生じさせている物を破壊したりする行為であり、本来ならば法的責任を問われるところ、一定の条件の下にそれを免除されるものをいう。

出典:Wikipedia

 

また、この緊急避難の有名な寓話としてカルネアデスの板という話があります。

舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。

緊急避難の例として、現代でもしばしば引用される寓話である。現代の日本の法律では、刑法第37条の「緊急避難」に該当すれば、この男は罪に問われないが、その行為によって守られた法益と侵害された法益のバランスによっては、過剰避難と捉えられる場合もある。

出典:Wikipedia

このカルネアデスの板は他の小説やアニメ等、様々な場面で緊急避難の例として用いられるので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

 

老婆も下人も、このまま善良な方法による生きるための手段を模索していれば飢え死にしてしまうかもしれない、という状況は同じです。

 

しかし、このカルネアデスの板の例のように、今すぐに生命の危機となる何かが起きてしまうという差し迫った状況ではありません。

 

たしかに生きていくための職や貯えはありませんが、考える・行動する等の時間の猶予は残されています。

生きるために悪に手を染めるということは、ある意味苦しい思いをしてでも生きるということを放棄しているようにも映ります。

 

そして老婆は自らの弁明を「仕方なく」という表現を用いています。

本文からは読み取れませんが、もしかしたら下人から逃れるための嘘かもしれませんし、本当に仕方なく…と思っているかもしれません。

 

一方、下人は仕方なくという部分には疑問が残る表現です。

「きっと、そうか。」
老婆の話がると、下人はるような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」

この表現は、「むしろ生きるための悪を肯定してくれて、ありがとう!」と言わんばかりです。

老婆に「噛みつくように」言っているわけですし…

 

老婆は(本音はわからないが)やむなくしていることを、下人は積極的にしているわけです。

 

つまり悪事を積極的に肯定する=道徳に反していると言えます。

 

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② 「死者」か「生者」か…盗みの対象者

盗みの対象も老婆と下人では異なります。

この「死んでいる」か「生きている」かという部分は、有名な考察のポイントに挙げられやすいです。

 

老婆は「死者」から盗み取る

まず、死者の髪の毛を抜く老婆についてです。

死者に対して悪事を働くことを「死者を冒涜(ぼうとく)する」と言ったりします。

 

「なぜ死んでしまった人の髪を抜いてはいけないのか」「なぜ死体損壊罪という罪があるのか」という問いがあったら、あなたはどのような答えを出しますか?

 

多くの人が「亡くなった人を弄んではいけないと思うけど、その理由が論理的に説明ができない」と思います。

 

これは人間以外でもそうですが、動物に対しても同じ感覚が働きます。

 

人は小さい頃から「死者を冒涜するようなことをしてはならない」ということを学習しています。

 

 

親「他人に親切にしましょう」

 

子供「どうして?」

 

親「人は一人では生きてはいけず、多様な他者と協働し合って生きていかなければならないのですよ」

 

…こんなやりとりをしている親子はおそらくいません。笑
「人がやってはいけないこと」というのは、ある意味、道徳的・倫理的感覚と言えます。

そういう観点で見ると、たしかに老婆も道徳的によろしくないことをしているように映ります。

 

しかし、それ以上に重要なのは、生きていくために死者の髪の毛を抜くという行為そのものは、ある意味誰の迷惑にもなっていません。

とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。

「引取り手のない死人」というのは、『今昔物語集』では「(理由があって)埋葬できない死人」という部分と同じです。

 

つまり、ここに捨てられている亡骸は、ある意味髪の毛を抜かれても仕方ない人たちであったということが推測できます。

 

 

下人は「生者」から盗み取る

一方、下人は今を生きている者、しかも(悪に手を染めているとはいえ)自分より年長の老婆に対して盗みを働きます。

 

生きていくために凍え死なないように衣服を身に付けている老婆…

衣を奪い取られたら、いくら悪いことをしているとは言え、老婆も困ってしまいます。

下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。

さらには抵抗する老婆に暴行を加えています。笑

老婆が髪を抜いているときには、誰にも知られずコッソリ抜いていたのに…

 

 

そのような観点から作品を眺めると、まだ老婆のほうが誰かに危害を加えるということをしていない構図となります。

 

また、『今昔物語集』と異なる部分として「老婆の持っていた死人の髪の毛」は『羅生門』では奪っていません。

『羅生門』で老婆が言っていたように、老婆は髪を抜いてカツラにしようとしていました(おそらくカツラを作って売って生計を立てていくつもりです)。

下人はその話を聞いたにも関わらず、『今昔物語集』とあえて異なるように老婆の衣だけを奪って姿を消します(おそらくこの老婆の衣も売るつもりです)。

 

この部分の違いは、『今昔物語集』を知っているとかなり目立った違いに映ります。

それは下人が道徳的によろしくないことをしているからにほかなりません

 

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まとめ 人物の行動=主題の提示

今回は素材となる作品がもともとあるので、その違いに着目して主題について迫ってみました。

他の作品でもよく言われることですが、書き手が登場人物にさせる行動にはなんらかの意図が見え隠れしている場合が多いです。

 

小説を読む際には、細かい部分まで目を通してみるとおもしろいですよ。

 

『羅生門』の「門」についての考察はこちらからどうぞ!。

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