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『羅生門』芥川が一番初めに書き上げた最後の一文は今とは違っていた!

『羅生門』芥川が一番初めに書き上げた最後の一文は今とは違っていた!

現在、高校国語で取り上げられることが多い『羅生門』。

実はこの作品の終わりにある、最後の一文がもともと違っていたことは知っていますか?

 

芥川が『羅生門』を一番初めに発表したときと、現在ではどのように違っていたのでしょうか。

この記事では『羅生門』の最後の一文についてまとめてみました。

 

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現行版と初稿の比較

現行版と初稿の比較

では実際にどのような違いがあったんでしょうか。

 

『羅生門』末尾の一文、実は2度改稿(原稿を書き直すこと)をしています。

 

まず、現在の『羅生門』は第3稿であり、結びは次の形になります。

下人の行方は、誰も知らない。

出典:第三短編集『鼻』(1918年7月)

 

長い間、『羅生門』を読んでいなくても、「あぁ~たしかにそんな感じだったなぁ」と思えるような一文ですよね。

 

この前の第2稿バージョンがこちら。

下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急いでゐた。

出典:第一短編集『羅生門』(1917年5月)

 

なんだか全然違う形ですよね?

そして芥川龍之介が書いた一番初めの形がこちら。

下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急ぎつゝあつた。

出典:初出『帝国文学』(1915年11月)

 

二つ目のものと微妙に違いますね。

この3回の改稿を時系列順に並べるとこうなります。

 

『羅生門』 最後の一文の変化
  • 初出
    下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急ぎつゝあつた。
    『帝国文学』1915年11月
  • 第2稿
    下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急いでゐた。
    第一短編集『羅生門』1917年5月
  • 現在
    下人の行方は、誰も知らない。
    第三短編集『鼻』1918年7月

時系列順に並べると、第2稿と現在の第3稿のところで大きく違っていますね

 

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最後の一文の移り変わり詳細

最後の一文の移り変わり詳細

なぜ最後の一文を芥川龍之介は変えたのか。

謎を解くためには、最後の一文を変えることで、どのような変化が生じるのかを考える必要があるでしょう。

 

最後の一文は語り手(地の文)

この最後の一文はいずれの場合でも、地の文です。

地の文(じのぶん)

登場人物の会話文・引用以外の文のことです

 

この地の文(=語り手)は、これまで下人の視点で語られていました。

下人の行動を説明し、しばしば下人を代弁する形で物語が展開してきています。

 

つまり芥川は下人の行動にかかわる部分を改稿したことになります。

 

下人の行動の移り変わり

では下人の行動が初稿~第3稿までどのように変わったかです。

 

もう一度前出の流れを確認します。

『羅生門』 最後の一文の変化
  • 初出
    下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急ぎつゝあつた。
    『帝国文学』1915年11月
  • 第2稿
    下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急いでゐた。
    第一短編集『羅生門』1917年5月
  • 現在
    下人の行方は、誰も知らない。
    第三短編集『鼻』1918年7月

 

変化がみられるのは「強盗を働きに急ぎつつあった」「強盗を働きに急いでゐた」「行方は誰も知らない」という部分です。

 

初稿と2稿目では「急ぎつつある」のか「急いでいた」かの表現的な問題であり、あまり大きく変化していません。

下人は強盗を働くために急いだことに変わりはありません。

 

ポイントは第3稿が「行方は知らない」となっていることです。

 

前2つに比べて、現在の形は下人は強盗を働いているかわからない状態であるといえます。

下人の行動が中途半端な形で放り出されたような印象ですよね。

 

結論:下人の行動が読者に委ねられた

以上をまとめると、物語後の下人の行動が読者の想像に委ねられることになります。

 

これまで必要に応じて語り手が説明していましたが、最後はその役目を果たしていません。

しかも「だれも」知らないという言葉も使われています。

作者自身も知らないという印象を受ける人もいるかもしれませんね。

 

さらに初稿や第2稿では、物語後の下人は「強盗になった」という結論に固定されます

 

しかし現在の形では下人が強盗を続けていないことも想像できます。

心優しい読者の中には下人は人を傷つけたから後悔しているとか…

さらには強盗したけど、老婆と同じように誰かにものを盗まれたという因果応報的な想像をする人もいるかもしれません。

 

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物語後を読者に想像させる

物語後を読者に想像させる

小説を読むということは、言葉の中に根拠を求めつつ、思考し想像することです。

芥川が優れた作家であり続けるというのは、こういう仕掛けを作品に散りばめているからかもしれませんね。

 

同時に、凝り固まった読み方だけでなく、小説を読む楽しさを教えてくれている気がします。

 

小学校~高校の間にテストで採点されるから小説の読み方を学ぶということより、一生楽しめる小説の学び方を学校で身に付けたいものですね。

 

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