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「児のそら寝」なぜ僧は大笑いした?現代語訳・意訳も紹介

ぴよすけです。

 

古文入門としてよく扱われる作品に「児のそら寝」があります。

ぴよすけも高校1年生の時にこの作品を授業でやりましたが、当時は面白さが理解できずにいました。

あれから十年以上が経ち、「あの話は結局何が言いたかったんだろうか」という疑問が湧いたので、改めて記事にまとめてみました。

 

  • 「児のそら寝」の現代語訳と意訳
  • 児とはどんな存在か
  • なぜ児が最後に笑われたのか(笑いのポイント)
  • そもそも僧は児のそら寝に気付いていたか

 

この4点を主に解説しています。

 

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作品データ・現代語訳・あらすじ

作品データ出典:『宇治拾遺物語』に収録鎌倉時代前期の説話集です。

『宇治拾遺物語』は上下2巻、約200のお話が収められています。

中には芥川龍之介の『鼻』など、近代小説のもととなったお話もあります。

 

文法に沿った「児のそら寝」の現代語訳

まず、文法事項や古語単語にできるだけ忠実に訳したものをご紹介します。

 


 

昔、比叡山延暦寺に児がいた。

僧たちが、宵の所在なさに「さあ、ぼたもちを作ろう。」と言ったのを、この児は期待して聞いた。

そうかといって、作り上げるのを待って寝ないのも、よくないだろうと思って、片隅に寄って、寝ているふりで、出来上がるのを待っていたところ、はやくも作り上げたようで、騒ぎ合っている。

この児が、きっと起こそうとするだろうと、待ち続けていると、僧が、「もしもし。お目覚めなさいませ。」というのを、うれしいとは思うが、たった一度で返事をするのも、待っていたと思うといけないと思って、もう一声呼ばれて返答しようと、我慢して寝ているうちに、「これ、お起こし申し上げるな。幼い人は、寝てしまわれたよ」という声がしたので、ああ、情けないと思って、もう一度起こしてくれよと、思いながら寝て聞くと、むしゃむしゃと、ただひたすら食べに食べる音がしたので、しかたなくずっとあとになって「はい。」と返事をしたので、僧たちは笑うことが際限ない。

 


 

古文の習い始めによく感じる一文の長さがこの作品にもあります。

特にぼたもちが出来上がってからの文は最後まで途切れることなく続きます。

 

「児のそら寝」をわかりやすく意訳してみた

物語をわかりやすくした、現代風な意訳が以下になります。

 


 

昔、比叡山延暦寺に児がいました。

僧たちは、宵に何もすることがなかったので「ぼたもちでも作るか!」と言いました。

この僧たちの会話を児は期待して聞いていました。

なぜ期待していたかって?それは作ったぼたもちを自分ももらえると思ったからです。

しかし、児は考えました。

「ぼたもちが出来上がるのを待って寝ないでいるのも大人げない…」

そこで児はぼたもちができるまで部屋の片隅に寄って寝たふりをしました。

そうこうしているうちに早くも僧たちがぼたもちを完成させ、騒いでいます。

 

児は「きっと僧が起こしに来てくれるだろう」と思って寝たふりを続けていると、案の定、1人の僧が児を起こしに来ました。

「もしもし、起きてくださいな」

児は「キターーーー!」と思いました。

しかし、1回起こされただけで返事をするのもぼたもちが出来上がるのを待っていたと思われてしまいそうです。

だからもう一回声をかけられたら返事をしようと思い、我慢して寝たふりを続けました。

すると別の僧が「おい、起こすんじゃないよ!幼い人はもう寝てしまわれたんだ」といいました。

「え!?ちょ…待っ…え!?」児は軽くパニックになります。

「もう一度起こせよ!」児は心の中で叫びます。

しかし聞こえてくるのは僧たちがムシャムシャとぼたもちを食べる音だけです。

どうしようもなくなった児は「…はい」と返事をしたので、僧たちは大笑いしました。

 


 

一文の長さが長いと読みづらかったものが、適切に区切ることによってわかりやすくなりますね。

 

ぼたもちができあがるのを待っていた児は最後に笑われてしまいます

この話、何がおもしろくて僧が笑っているのでしょうか。

 

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なぜ僧たちは笑ったのか?

そもそも児とはどんな存在なのか

児は「稚児」とも表記され、寺院や公家・武家などに召し使われていた少年を指します。

少年といっても幼い子どもの場合も多く、小学校入学前後(5~8歳くらい)の年齢だったと言われています。

比叡山延暦寺のような場合、貴族や信心者の子弟が修行のために児として入山していたことが多かったようです。

 

児は寺院内では男色の対象であったり、観音菩薩の化身とされていたりしました。

男色とは?

女人禁制の場面で、愛情を同性である男性に向けているいわゆる同性愛のことを指します。
男色は大昔から存在し、奈良時代や平安時代はおもに寺院で、鎌倉時代や室町時代になるにつれて武家などでも男色が広がっていきます。
明治時代になると法律で禁止されました。

 

そのため僧にとって尊い存在である(児に対して僧たちが敬語を用いる)一方で、年少の児も僧たちに精一杯の優雅さを振舞ったりします。

そして修行を重ねたうえ、後々は高位の僧となっていくとされています。


今回のお話の児が男色の対象だったかどうかはわかりませんが、僧が敬語を使っているあたり、身分が高い家の子で大切にされていたことがうかがえます。

幼い子が、「起きているのもきまりが悪い」なんて考えるのはやはり滑稽ですね。

 

僧が笑った理由① タイミングのずれた返事

さて、僧たちが大笑いした理由のひとつに、児の返事のタイミングがずれていたことが考えられます。

作中の出来事を以下の①~⑥にまとめてみました。

  1.  ぼたもちができるのを児が寝たふりをして待っている
  2.  ぼたもちができて、僧Aが児を起こすために声をかける
  3.  児はすぐに返事をしなかった
  4.  すると僧Bが「児は寝てしまったから起こすんじゃない」と言う
  5.  結果的に児は返事をするタイミングを逃した
  6.  しばらくたって児が「はい」といって僧たちが大笑いした

 

児は最後の部分で「えい(現代語で『はい』の意味)」と答えています。

・今日はご飯食べる? → はい
・宿題をやってきましたか? → はい

 

英語でいう「Yes」と同じということです。

 

この「えい」という児の返事は、②の僧Aが声をかけた部分に対する返事だったと考えられます。

(結果的に③~⑤で児は返事をしていない)

 

僧Aが「起きてください」と声をかけて返事がなかった
→だいぶ時間が経ってからさっきの返事が聞こえた
→だから僧が笑った

というものです。

 

深く考えすぎた児の失敗、子どもらしいふるまいをすべきだった、無理をして大人の考えを読もうとせず年齢相応の考え方をすべきだ、などが主題として見えてきます。

 

僧が笑った理由② 実は僧たちは児のそら寝に気付いていた

考えられる理由の二つ目として、児のそら寝を僧は見抜いていたからというものがあります。

 

本文中で僧が児の様子を窺う場面は、児に声をかけるシーンだけです。

加えてこの話は児の視点で語られていますし、僧が児のそら寝に気付いていたと言える場面はありません

 

しかし、それでも僧が児のそら寝に気付いていたと考えられるのは、この話自体が児の失敗譚として語られている側面もあるからです。

 

この「児のそら寝」のオチは、理由はどうであれ児がぼたもちを食べ損ないそうになって笑われた、という部分を指します。

 

なぜ僧たちが大笑いをしたかを推測すると、児のそら寝に気付いた僧Bが「起こすな」と言って意地悪をしたと見ることもできます。

意地悪といっても、からかいや愛のある可愛がりみたいなものかもしれませんね。

 

そら寝に気付いていたこと、また児の変に大人びた気のまわしようは僧たちもわかっていたかもしれません。

 

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まとめ:少年が気遣った結果、かえって失敗した

短いお話ですし、何より今から約800年前にできていた話なので、作者の真意も今となってはわからないのが現実です。

しかし、現在でもこの話は多くの教科書に採録されているのは、この話から何らかの意図を読み解く価値があるという理由があるからだと思います。

 

読んだときに「正解はこうだ!」という白黒だけではなく、「こうも読める、ああも読める」と幅広い解釈ができる作品であることは間違いありませんね。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。
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