茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」。
何人もの方が学校の授業で扱った詩でしょう。
わたしが一番きれいだったとき
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていったわたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光ったわたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いたわたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼったわたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかっただから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね引用:『わたしが一番きれいだったとき』2010年1月26日 茨木 のり子著
この詩の中盤にある敗戦後の部分にある「わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり/卑屈な町をのし歩いた」という一節について。
たしかぴよすけが学校で学んだとき、先生がこんなことを言っていたような。
「当時は負けたことを現実として受け入れられなかったんだよ」
「みんな負けたことで卑屈になっている中、作者の茨木のり子さんは力強く、負けたことを否定しようとしていたんだよ」
負けたことを否定したい気持ち…
悔しさ?自尊感情?
ふーん、そうなのかぁ…
今と昔では75年もの時間の差があるので、当時を知らないぴよすけにとってできるのは最大限、当時を想像してみることでした。
想像した結果、たしかに前線で戦っている人や指揮している人にとっては悔しいのかも…
でも、茨木のり子さんって一般人でしょ?
一般人でも悔しがるものなのかなぁ…
これが学生時代のぴよすけの限界でした。
物事をみんなが分かり合えることは不可能だとぴよすけは思っています。
ただでさえ混乱している現代社会も、コロナウイルスの対応一つとってみても賛否両論です。
それぞれの立場によって、いくらでも意見や考えが出てくるのです。
一部の人にとっては理解でき分かり合えたけど、大多数にわかってもらえない…
こんなことは日常茶飯事です。
学生時代に当時の人々の生き方に思いを馳せたところで、正解が出てくるわけでもないんですが…
思いを馳せてもなかなかこの一節が自分の中に落ちていかなかったのを思い出します。
ところが、最近読んだ本の中で「あぁ、『わたしが一番きれいだったとき』の敗戦の部分はこういうことだったのかなぁ」と妙に納得するものを目にしました。
それが『この世界の片隅に』です。
『この世界の片隅に』を読んだとき、妙に引っかかる描写があったんです。
それがこちら。

主人公のすずは玉音放送を聞いてなお、敗戦に納得していない様子。

そのまま外に出て崩れ落ち、涙を流します。
『この世界の片隅に』は、主人公すずと周囲の人たちとの日常を描いた作品です。
何が何でも戦争に勝たなければ!!のようなシーンはありません。
ごくごく当時の日常が描かれています。
そして、敗戦時に主人公のすずが感情的になりますが…これほどまでに感情的になるような場面はなかったんです。
どちらかというと、ドジっ子的な描かれ方が多いキャラクター。
しかし、この敗戦が伝えられたシーンは、それまでと比べてかなり感情的です。
この場面を読んだとき、ふと「わたしが一番きれいだったとき」の敗戦部分の一節が思い浮かんだのです。
自国が負けた時の気持ちはこんなにも悔しいものなのか…
詩ではわからない詳細な部分が、マンガという視覚的情報で補完された感じでした。
また当時の生活様式なども相まって、人々の感情がよりリアルに想像できるようになりました。
実際に体験しているわけではないからこそ、様々なモノから情報を集めて考えるべきだと思っています。
そして集まった情報をもとに多角的に物事を考えていくべきです。
「わたしが一番きれいだったとき」と『この世界の片隅に』という、まったく別作品から共通点を見つけられたことでまた少し、当時を知ることができたのかなぁと思いました。
『この世界の片隅に』を紹介した記事はこちらからどうぞ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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